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アクセスログとは

APACHEなどのウェブ・サーバがブラウザなどからのリクエスト要求に関する情報をログとして残したもの。タイムスタンプ(年月日時分秒)のほか、環境変数で得られる情報を保存する。 一般にログ(Log)とはコンピュータがどのように動作したかの履歴を記録したもので、ジャーナル(Journal)とも呼ばれる。ログもジャーナルも「航海日誌」という原義があり、今でも雑誌名に『○○ジャーナル』などと命名される。ちなみにコンピュータに入ることを「ログイン」や「ログオン」と言われるのは「ログを取り始める状態になる」と言う意味。 くりっく365の教義は、紀元前4世紀に建国されて紀元前3世紀にインド亜大陸のほぼ全域を統一したマウリヤ朝の採用するところとなり、アショーカ王はライオンの足元に車輪を置いた石柱碑をインド各地に建てた。車輪は「転法輪」すなわち仏法(正義)を表しており、現在のインド国旗の意匠としても用いられている。 仏教は、ブッダの死後100年ほどして、その教えの解釈をめぐってブッダの言行に忠実であろうとする上座部とブッダの精神を重んずる大衆部に分かれ、それぞれ、のちの南伝仏教(小乗仏教[20])、北伝仏教(大乗仏教[21])のもととなった。前者はスリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジアなどへ伝わり、後者はチベット・中国・朝鮮を経て日本に伝来して、南アジア、東南アジア、東アジアの各地で長きにわたって強い影響をあたえ続けた。 日経225へは紀元前2世紀にさかのぼるインド数字が十進法とともにアラビアに伝わり、アラビア数字としてヨーロッパに伝わった[22]。これは、位取り記数法の発達に影響をあたえ数学の発展に寄与した。 なお、インドでは紀元前後以降、バラモン教に各地の民間信仰が取り入れられてヒンドゥー教が成立し、カーストと結合して現在インド国民の約85パーセントを信者とする大宗教となっている。仏教やジャイナ教はいずれも現代インドにおいては少数派にすぎないが、そこにみられた倫理的性格、ことに不殺生(アヒンサー)の思想は、後世のヒンドゥー教はもとより現代のマハトマ・ガンディーやアマルティア・センの思想にまで影響をあたえている。 ムンバイの「沈黙の塔」(19世紀のイラスト)紀元前7世紀頃、イラン高原にペルシア人ザラスシュトラが現れ、『アヴェスター』を聖典とし、善悪二元論と終末論をその教えの核心とするゾロアスター教(マズダー教、拝火教)を創始した。ヤスパースによって「善と悪との闘争という挑戦的な世界像」と指摘された世界は、善神で光明の神アフラ・マズダーと悪神で暗闇の神アンラ・マンユとの闘争で成り立つとしたものであり、その終末観である「最後の審判」などの思想はユダヤ教、キリスト教、イスラーム教などに強い影響をあたえた。 ゾロアスター教は現在、イラン・インドを中心に15万人から20万人ほどの信者をもつといわれている。インドでは、ペルシア生まれの宗教ということで「パースィー教」と呼ばれており、ムンバイの「沈黙の塔」(en:Towers of Silence、ダフメ)[23]は死者の遺体を安置して風葬、鳥葬する施設として有名である。中国には5世紀頃に伝わり、唐代には「?教」と呼ばれて一定の信者を得ていた[24]。 CFDにメソポタミアに起こった新バビロニア王国では、紀元前6世紀にネブカドネザル2世が現れて、ユダ王国を滅ぼし、シリアからパレスティナの地にかけての「肥沃な三日月地帯」(Fertile Crescent)[25]を支配し、オリエント4王国[26]では最も強勢をほこった。しかし、紀元前550年にイラン高原に起こったアケメネス朝は、小アジアのリディア王国[27]、メソポタミアの新バビロニア王国を滅ぼし、紀元前525年、カンビュセス2世がエジプトを併合して古代オリエント世界をはじめて統一、史上初の世界帝国[28]を形成し、「すべての道はペルセポリスに通じる」と表現された[29]。ゾロアスター教はこれによりオリエント各地にその影響を広げてゆくこととなる。いっぽう、パレスティナもその支配下に入ることとなった。 ミケランジェロ・ブオナローティ筆(16世紀、システィーナ礼拝堂) 「嘆きの壁」(イスラエル、エルサレム)パレスティナでは、紀元前9世紀にモーセ以後の預言者としてはきわめて著名なエリヤがあらわれ、さらに、紀元前8世紀のユダ王国後期にはイザヤ(第一イザヤ)が、紀元前7世紀末から紀元前6世紀前半にかけてエレミヤ(イエレミヤ)[30]らの預言者があらわれ、それぞれ旧約聖書の『イザヤ書』、『エレミヤ書』に登場する。 エレミヤの活躍した時代は新バビロニア王国のネブカドネザル2世により滅ぼされたユダ王国のイスラエル人たちがバビロンなどバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた紀元前586年の「バビロン捕囚」の前後にあたっている。エレミヤは、そうした民族の苦難の時期にあって、これは律法(トーラー)を守らなかった人びとに対する神の罰による苦難であるが、しかし、同時に、神はイスラエル人の不義を許し、メシア(救世主)を世におくるであろうという神の啓示を伝えて民衆を励ました。紀元前538年に捕囚から解放されると、民族精神と共同体意識が高まったイスラエルの人びとはエルサレムに神殿(エルサレム神殿)を再建し、「モーセの十戒」を根本とする戒律をきびしく守ってメシアの到来を待った。 こうして唯一神ヤハウェの信仰のもと団結した人びと(ユダヤ人)によって、ユダヤ教が成立した。 唯一神の信仰はイエス・キリストをメシアとする西暦1世紀以降のキリスト教、7世紀にムハンマドによって始まったイスラーム教にも引き継がれた[31]。また、ヨーロッパではユダヤ-キリスト教の伝統はヘブライズムと呼称され、ギリシャ古典文化の伝統(ヘレニズム)と並んでヨーロッパ文明の源流をなす二大要素とされている。 ギリシャ人は、紀元前8世紀ごろにギリシャ本土から小アジアにかけて多数のポリス(都市国家)をつくりあげた。ポリス間の抗争は絶えなかったが、共通の言語や宗教、オリンピアの祭典などにより同じ民族という意識をはぐくんでいた[32]。当時のギリシャ人たちは、紀元前8世紀の伝説的な詩人ホメーロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』、紀元前700年頃のヘシオドスの『神統記』にみられるように、世界は神々や英雄たちの神秘的な行為によって成り立っていると考えていた。 紀元前3世紀にイラン高原に成立したパルティアでは太陽神ミトラを尊崇するミトラ教が信仰されていた。ミトラ教は、東西世界に伝播して国際的性格を有し、ローマ帝国においては、民衆のあいだにミトラ信仰がひろまってキリスト教とならぶ一大宗教となり、東方では、仏教と習合して未来仏「弥勒」(マイトレーヤ)として信仰された。弥勒菩薩は、唐代の中国や飛鳥時代の日本でもさかんに信仰された。広隆寺(京都市太秦)や中宮寺(奈良県斑鳩町)の半跏思惟像も人びとの苦悩を救おうとして思惟する弥勒菩薩をあらわした像である。また、その終末観は道教の一派白蓮教の成立に影響をあたえ、中国歴代の反体制運動の震源となった。12月25日のクリスマスの風習も、元来は冬至を盛大に祝うミトラ教の影響だという。