初心者用 SEO基礎知識

アクセスログ分析とは

ここではDIONの検索エンジンで「カートショップ」と検索した結果ページから2つのアクセスがあることが分かる(図中5行め)。訪問先はショッピングカートの紹介ページであり、通常は「ショッピングカート」や「買い物カゴ」という表現がされるが、人によっては「カートショップ」という言い方をするケースもあることが分かる(「カートショップ」という表現が正しいかどうかは別問題)。このようにホームページ所有者にとって未知のキーワードを発見する機会もある。 APACHEなどのウェブ・サーバがブラウザなどからのリクエスト要求に関する情報をログとして残したもの。タイムスタンプ(年月日時分秒)のほか、環境変数で得られる情報を保存する。 一般にログ(Log)とはコンピュータがどのように動作したかの履歴を記録したもので、ジャーナル(Journal)とも呼ばれる。ログもジャーナルも「航海日誌」という原義があり、今でも雑誌名に『○○ジャーナル』などと命名される。ちなみにコンピュータに入ることを「ログイン」や「ログオン」と言われるのは「ログを取り始める状態になる」と言う意味。 外為は紀元前6世紀頃、小アジアのイオニア地方に栄えたポリス共同体の生活を基盤として生まれた。当時の市民たちは、生活の労苦の大部分を奴隷の手にまかせ、自分たちは会話や討論に没頭する閑暇(スコレー、schol? )[33]をもつことができた。生活上のゆとりをもった市民たちの自由な討論は、理性(ロゴス、logos )を発達させ、理性を通して感覚的なものの背後にあるもの、個々の事物を越えて存在する普遍的・客観的原理をとらえようとする態度を生んだ。こうした静観的・観想的な態度をテオリア(theoria )[34]とよんでいる。そして、このような態度は、変転きわまりない自然を成り立たせている根源(アルケー、arkh? )は何かを探究させることとなり、タレスに始まる「自然哲学者」と呼ばれる一群(下表)を生むこととなった。 日経225のスコレー(生活上のゆとり)とテオリア(観想)的態度によって、実用からはなれ、自由に真理を求め愛するというフィロソフィア(philosophia、愛知の学=哲学)[38]の精神がはぐくまれていった。最初の哲学者タレスは、アルケーを水[35]であるとしたが、これは、あらゆる生きものは水がなくては生きられないという経験的事実から出発し、思弁によって論理的に結論を導いたという点で神話的思考を超え、はじめて学問的精神を示すものであった。 プロタゴラス紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけてのギリシャは、ポリスがもっとも繁栄した時期であった。 とくにペルシア戦争でアケメネス朝との戦いに勝利をおさめると、その中心となったアテネでは下層市民も政治に参加する古代民主政が完成し、学問や思想の対象も自然(ピュシス、physis)から人為(ノモス、nomos)、すなわち法や社会制度にむけられるという大転換が起こった。 そこでは、市民が政治の担い手として家柄や財産にかかわりなくみずからの力を発揮していく時代を反映し、政治的知識や弁論の能力を身につけることが求められるようになった。 FXの新しい要望に応えてあらわれたのが、職業教師として人びとに弁論術を教えたり、法廷弁論における代作をおこなったりするソフィスト(sophist?s、知恵ある者)と呼ばれた思想家たち(下表)であった。 プロタゴラスの立場は相対主義あるいは主観主義とよばれるが、これは人間中心の立場に立って、従来の固定した迷信的な思考あるいは言説を打ち破り、社会の諸制度を時代の変化に応じて修正しようという意味合いをもっていた。時あたかもペリクレスによるアテネ民主政治の最も輝いていた時代だったのである。 しかし、個々の事物を超えて存在する普遍的真理の否定は、ポリスの法など、人びとにとって共通の価値を否定することにつながり、その思い思いの行動はポリス的結びつきを破壊する危険があった。また、ゴルギアスが活躍した時代のアテネは、プロタゴラスの時代とは違い、スパルタとの戦い(ペロポネソス戦争)によってアテネがしだいに衰亡しはじめていた時期であったため、このような状況下での相対主義は、真理を追究することよりも弁論に勝つことに専念するような風潮を生み、容易に詭弁や「力の論理」に帰着する怖れがあった。 天を指さす理想主義者プラトンと地を強調する現実主義者アリストテレス(ラファエロ画『アテナイの学堂』より)ソフィストに対し、ポリスの一員としての自覚にたちかえって真理の絶対性を説いたのがソクラテス(BC469??BC399?)である。かれは、「人間いかに生きるべきか」を思索の対象とした最初の思想家といわれる。その方法は問答(ディアロゴス、dialogos )を重視した「助産術」とよばれるものであり、それをもとに人びとに「無知の知」を説き、半面では民主政を批判した。彼は市民の誤解と反感をうけて裁判にかけられたが、「悪法も法である」として死刑を甘受した。真の知を愛求したソクラテスの精神は、イデア論や理想国家論、魂の三分説を説くプラトンや、その弟子アリストテレスにうけつがれた。 アテネ出身のプラトン(BC427?BC347)は、理性によってのみとらえることのできる完全な性質をもった「ものそのもの」をイデア(idea)と呼び、世界を感覚でとらえられる現象世界と理性でとらえられるイデア界に分け、イデアにあこがれ、魂が完全なもの、真に価値あるものに向かおうとする情念をエロース(eros)と呼んで、理想主義的な哲学を展開した。プラトンの哲学は、のちにプロティノス(204年?-270年頃)ら新プラトン学派を生むなど西洋哲学、神学に大きな影響をあたえた[39]。 それに対し、アレクサンドロス大王の家庭教師としても知られる、マケドニア王国出身のアリストテレス(BC384?BC322)はイデア論を批判し、経験を重んじた現実主義に立脚する思想を展開して、自然・人文・社会のあらゆる方面に思索をおよぼして、後世「万学の祖」と称されるようになった。なお、アリストテレスの哲学は、のちのイスラームの学問や中世ヨーロッパのスコラ学に大きな影響をおよぼした。 イッソスの戦いでのアレクサンドロス大王(ポンペイ遺跡出土のモザイク)ヤスパースは上述のように、枢軸時代の「輪廓が漠然とながら示されるいっさい」のなかに「更に悲劇詩人たちや、トゥキュディデスおよびアルキメデス」を掲げている。 古代ギリシャの悲劇詩人には、雄大荘厳で知られる『アガメムノン』などオレスティア三部作を代表作とするアイスキュロス(BC525?BC456)、高貴な人間像を歌いあげた『オイディプス王』のソポクレス(BC496??BC406)、『王女メディア』で人間中心の思想を表現したエウリピデス(BC485??BC406?)などがおり、また、喜劇作家としてはアリストパネス(BC450??BC385?)が知られる。 トゥキディデス(BC460??BC400?)は、『戦史』(ペロポネセス戦争史)など客観的、中立的な立場に立った歴史叙述で知られ、先人である「歴史の父」ヘロドトス(BC485??BC425?)の『歴史』(ペルシャ戦争史)における物語的記述としばしば対比される。なお、彼の同時代人としては「医学の父」ヒポクラテス(BC460??BC375?)がいる。 ドミニコ・フェッティ(en)『思索するアルキメデス』、1620アレクサンドロス帝国の誕生とポリス崩壊によって生まれたヘレニズム文化では、自然科学分野の顕著な発達がみられた。平面幾何学を大成したエウクレイデス(BC300頃に活躍)、浮力の原理やてこの原理、円周率や球体の求積などを解明したアルキメデス(BC287??BC212)、地球の自転を唱えたアリスタルコス(BC310??BC230?)、地球の周囲の距離を測定したエラトステネス(BC273??BC194)、解剖学・臨床学を大成したヘロフィロス(BC3世紀に活躍)などが代表である。 また、ゼノン(BC335??BC263?)をはじめとして禁欲主義の立場に立つストア派、永続する精神的快楽にこそ真の幸福があるとするエピクロス(BC342??BC271?)などのエピクロス派の思想などヘレニズム期の哲学は、個人の幸福をめざす個人主義とポリス解体を反映したコスモポリタニズム(世界市民主義)を大きな特色としている。