初心者用 SEO基礎知識

アバウト・コムとは

ディレクトリ登録型検索エンジンの一つ。単にリンクを羅列するだけではなく、カテゴリ毎に専門家がガイドとして存在していることが特徴(ウリ文句は「その道のプロが、あなたをガイド」)。質の高いリンク集(ディレクトリ登録)となっており、人気が高い。米国ではAbout.com、日本ではallabout.co.jpのドメインを持つ。 整体 学校の著名な社会学者でアルフレートの兄マックス・ウェーバー(1864年?1920年)は、ヤスパースの思想がかたちづくられるのに際し重要な役割を演じた[79][80][81]。M.ウェーバーは、宗教の出発を「人間がどこから来て、どこへ行くのか」という疑問であったと指摘しているが、ヤスパースもまた『歴史の起原と目標』の冒頭において、この問いを発している。 シュムエル・アイゼンシュタット(en)は自著『枢軸時代文明の起源と多様性』(The Origins and Diversity of Axial Age Civilizations )において、マックス・ウェーバーがこの時代の重要性の背景を考察した『儒教と道教』、『ヒンドゥー教と仏教』、『古代ユダヤ教』などの著作を取り上げて、それについて論究し、エリック・ヴェーゲリン(en)の"Order and History"とともにその平行関係に着目している[82]。 通販による「枢軸時代」の提言は、アイゼンシュタットが出席した会議によって示され、1975年のダイダロス(Dadalus)の発表によって広汎な承認がもたらされた。そして、この時代がユニークで、変化力をもち、重要であったというヤスパースの指摘は、他の学者、たとえばヨハン・アラナソン(Johann Aranason)のような他の学者のあいだにも議論を引き起こしたのである。 宗教史家カレン・アームストロング(en)は、自著『大変革』(The Great Transformation)において、「枢軸時代」と称される時代の考察をおこなっており[83]、その理論は学術会議においても焦点でありつづけた[84]。この語の用法はヤスパースの最初の叙述から拡充されており、彼女は17世紀以降の「啓蒙主義の時代」を「第二の枢軸時代」であると論じ、アイザック・ニュートン(1643-1727)やジークムント・フロイト(1856-1939)、そしてアルベルト・アインシュタイン(1856-1939)のような科学者、思想家がこれに含まれるとして[85] 、こんにちの宗教は枢軸時代の大変革における洞察に立ち戻る必要があると主張している[86]。この対照性、すなわち宗教や俗事における伝統的な諸関係もしくは伝統的な思考法が変わりつつある相似的な対照性において、近代という時代は「新しい枢軸時代」として示唆されるとしている[87]。 モバイル アフィリエイトの立場からは、「枢軸時代」は父権的宗教の興起した時代であり、それ以降の諸思潮、諸制度は基本的に現代に至るまで一貫して父権的であるとして、しばしば批判的見解が寄せられることがある。これは、しかし「枢軸時代」という構想そのものの有効性は認めており、それをむしろ前提にした議論であるといえる。 科学史家で比較文明学者の伊東俊太郎は、その著『文明の誕生』のなかで、人類のあゆみを「人類革命」(約600万年前)、「農業革命」[88](約1万年前)、「都市革命」[89](紀元前3500年頃-紀元前1500年頃)、「精神革命」(紀元前6世紀-後1世紀)、「科学革命」(17世紀以降)の5段階を経て発展したものとし、このうち国家組織および階級の成立、文字の発明や商業の発達に焦点をあてて「都市革命」について論述している[90]。 携帯 アフィリエイト、伊東は「科学革命」の第2期、第3期としてそれぞれ「産業革命」(18世紀後半)と「情報革命」(20世紀後半)をあて、これら科学革命を経て今日に至り、現代は人類にとって第6の転換期である「環境革命」の時代を迎えていると主張している[91]。 パウロ(右)とマルコ(デューラー『4人の使徒』より)伊東の唱える「精神革命」(Spiritual Revolution)は、時期区分や定義のうえで若干の相違はみられるものの、その意義と歴史的位置づけはヤスパースの提唱する「枢軸時代」とほぼ重なっている[91]。伊東は、「精神革命」のプロセスと内容を下表のようにまとめ、そこにおける「文化の多様化」を重視している[92]。 なお、伊東は中国の仏教化、ヨーロッパのキリスト教化、イスラームの勃興という3つの動きを総称して「第2次精神革命」と呼んでいる[91]。 セミナーに公文俊平、佐藤誠三郎との共著として『文明としてのイエ社会』を刊行した理論経済学の村上泰亮は、同年から翌年にかけて『中央公論』誌に「批判的歴史主義に向かって」と題する論文を8回にわたって連載した。そのなかで村上は、世界的な視野に立てば、歴史発展の過程は本質的には多系的であるとして、西欧型とは異なる近代化の途、プロセスがあることを示し、トインビー史観や梅棹忠夫の生態史観などを批判して、従来の一元的発展史観を克服するものとして多系的歴史観を唱えた[93]。さらに、ユーラシア大陸の3大文明、すなわちヨーロッパ古典古代、インド、中国の歴史を比較して農業文明期とくにその後半における歴史的多系化の要因に関する多くの仮説を提唱した。 データ復旧における性愛、戦争、金星の女神「イシュタル」のレリーフ(イラク、バビロン) ゴータマ・シッダールタが悟りをひらいた「ブッダガヤの大菩提寺」(インド、ブッダガヤ) 孔子廟の杏壇門(中国、山東省曲阜)村上によれば、約1万年前に中近東の「肥沃なる三日月地帯」における定着農耕の始まり(伊東のいう「農業革命」)は、紀元前一千年紀における「有史宗教」[94]の成立(伊東のいう「精神革命」)と、それにもとづく文明大帝国(古典古代・インド・中国)の成立によって二分される。村上はまた、有史宗教の有無によって精神革命以前を第一次農耕文明、以後を第二次農耕文明と呼んでいる。 また、人間集団の存続をその内外で正統化する根拠で最も有力なものとして「血縁(キンシップ、kinship [95])」を掲げ、これが人類最古の組織原理であったろうと村上は推定する。そして、定着農耕開始期には比較的平等な血縁的集団である氏族(クラン、clan )がみられたことは歴史的な事実として確認されており、農業生産の高まりに応じて集団規模が拡大すると、それにともなって自らの祖先たちを位階的に体系化する伝承や神話が各地に生まれたとする。 「位階化神話」[96]は祖先神の体系に修正ないし拡大をほどこして、実際には血縁のつながりのない人びとをも想像上の血縁関係のなかに取り込んでいき、家族 → リニージ(同祖集団) → クラン(氏族) → クラン連合(部族) → 部族連合(民族)へと、血縁的正統化の論理によって拡大される。こうして事実上の血縁関係の後退は神話的な血縁関係によって補完され、首長制から王制への連続的な進化がなされる。村上は、都市を生み出した各種の古代文明のうち、最も非血縁的であるかにみえるメソポタミア文明においても、その宗教の内実は「位階化神話の高度化」であったと評価し、エジプトでも同様にみられる神々の階層化と広大な宇宙論との集大成こそが、宗教学者ロバート・ニーリー・ベラーのいう「古代宗教」[94]である、とする。